自己満足で書くシンギュラリティの話
科学ネタはもう書かないと言ったけど(※書いたネタは削除済み)、それでも書いておきたいネタがひとつある。割と真面目に、しかしあまり根拠とかを突き詰めずざっくりと書いていく。どうせ誰も読んでないんだ、自己満足で書くさ。
シンギュラリティ。
シンギュラリティ。
正確な用語としてはテクノロジカル・シンギュラリティ。
日本語では技術的特異点(ぎじゅつてきとくいてん)なんて大層な呼ばれ方をしてるヤツだ。どこかで聞いたことあるって人も多いんじゃないかな。
日本語では技術的特異点(ぎじゅつてきとくいてん)なんて大層な呼ばれ方をしてるヤツだ。どこかで聞いたことあるって人も多いんじゃないかな。
そもそもシンギュラリティや特異点という言葉は、数学や物理学で出てくる用語で、『基準が適用できない』とかそんな意味で使われるらしい。
ブラックホールの中心部にあるという『重力特異点』なんかは有名だろう。ブラックホールでは物質が究極的にまで押し潰された状態のため、密度が無限大になってしまっているという。この無限大という値が出てきてしまうと何をどう計算しても結果が無限大になってしまうので、計算しても意味がない=数学や物理学が成り立たない、ということだ。
ではテクノロジーの特異点とは、何なのか。
このテクノロジカル・シンギュラリティ(以下、単純にシンギュラリティ)という言葉は、アメリカの発明家レイ・カーツワイル氏が自身の著書で用いた言葉だそうで、現在は未来学(未来のことを大真面目に研究する分野)のカテゴリとしても一般的になってきている感じかな。
一般的には『AI(人工知能)の発達によって、科学の発展や文明の進化をAIが人間に代わって担うようになる時点のこと』とされている。それによって人間の生活が劇的に変化するのはもちろん、人間という存在そのものの在り方さえも変えてしまうであろう、とも。
AIにテクノロジーの進化を任せることによって、人間の思考能力や言葉のやりとりといった限界を超え、さらにAI自身により優れたAIを開発させることで進化をどんどん加速させていく。それによって爆発的にテクノロジーは進化し、これまで発表されてきたどんなSF作品よりも進化した文明が(それもごく短期間に)実現する。
これまでの未来予測というのは、当たり前だが人間が文明を発展させた場合のものだ。それが爆発的に進化していくAI主導の文明に置き換わることで、未来予測は意味をなさなくなる。つまり今までの未来学の『基準が適用できなくなる』というわけだ。
本当にそんな時代が来るのか。
カーツワイル氏がこのシンギュラリティの根拠にしているのは、俺が調べた限りでは『ムーアの法則』と『収穫加速の法則』のふたつ。
ムーアの法則は『コンピュータチップに組み込まれるトランジスタの数は、1年半ごとに倍になる(つまり1年半ごとに性能が倍になる)』というもの。
収穫加速の法則は、ざっくり言うと『新しく確立された技術が、さらなる技術の開発や発見を早める(つまり収穫を加速する)』というもの。
このふたつの法則によってAIの研究開発は促され、そうして新たに確立した技術によってさらなる進化がもたらされる。このプロセスが繰り返されることによって、最終的に自己進化AIが生み出される。その瞬間こそがシンギュラリティだ。
ムーアの法則は『コンピュータチップに組み込まれるトランジスタの数は、1年半ごとに倍になる(つまり1年半ごとに性能が倍になる)』というもの。
収穫加速の法則は、ざっくり言うと『新しく確立された技術が、さらなる技術の開発や発見を早める(つまり収穫を加速する)』というもの。
このふたつの法則によってAIの研究開発は促され、そうして新たに確立した技術によってさらなる進化がもたらされる。このプロセスが繰り返されることによって、最終的に自己進化AIが生み出される。その瞬間こそがシンギュラリティだ。
そしてカーツワイル氏は、このふたつの法則を根拠にシンギュラリティが起きる時点を2045年と予測した。そのためシンギュラリティは『2045年問題』などと呼ばれることもある。
人類の在り方そのものさえも変えてしまうという瞬間が、なんとあと20年ちょっとで来てしまうというのだ。もちろん、そんなぶっ飛んだ説だから反対意見も多い。が、そのへんは後で書く。
いかにしてシンギュラリティへ至るのか。
ここからは俺の個人的な考察。シンギュラリティが仮に起こるとして、そこへ至るまでに何があるのか。
まずそもそも『お金』というものだが、これは最終的に必ず誰かの『人件費』となる。当たり前だが、油田で石油を掘り出しても、石油そのものがお金を要求してくるわけじゃない。石油を掘る作業に従事する人の人件費だし、石油を掘る機械を作ったり整備したりする人の人件費にもなる。我々はいろんなものにお金を払って生活しているが、そのお金は巡り巡って必ず誰かの人件費に支払われているのだ。
ではその人件費が必要になる仕事を、片っ端からAIに置き換えたらどうなるか。
もちろん現在の技術では、そこまで高度なAI機械は実現していない(近いところまでは来ているが)。仮に置き換えられるようになったら、の話。
ここで使われるAI機械は、『仮面ライダーゼロワン』に出てきたヒューマギアのような、完全な人型をしている必要は必ずしもない。目の前の状況を確認して、それに応じた柔軟な動作ができるロボットアームとかでもいい。
ここで使われるAI機械は、『仮面ライダーゼロワン』に出てきたヒューマギアのような、完全な人型をしている必要は必ずしもない。目の前の状況を確認して、それに応じた柔軟な動作ができるロボットアームとかでもいい。
まずAI労働力が実現した場合、その生産性は人間の労働者とは比較にならないほど高いことが容易に想像できる。
人間の勤務時間は原則8時間だし、休憩時間や労働環境、最低賃金なんかも保障しなきゃいけない。さらにミスや体調不良なども当然起こりうる。
一方AI労働力は24時間フル稼働させることもできるし、最低賃金も関係ない。休憩の代わりにわずかにメンテナンスの時間が必要なだけ。故障はするかもしれないが、24時間稼働さえ可能ならば人間の体調不良よりも影響はずっと少ないはず(故障の頻度や程度にもよるが)。
こうして一旦AI労働力を導入してしまえば、人間の労働者を雇い続けるよりも遥かに高い生産性と利益を得ることができるようになる。もちろんAI労働力の導入に相応のコストはかかるだろうが、それを差し引いても事業者にとっては使えば使うほどおトクになっていく。
AIロボットメーカーも作って売るだけでなく、AI労働力のリースなどによってリース料やライセンス料なんかで莫大な利益を生み出せるようになるはず(仮面ライダーゼロワンに出てくる『飛電インテリジェンス』が、まさにそんな会社だった)。これは一般の事業者にもメリットであり、AI労働力の生産性をより低コストで導入できるようになる。
こうして社会は人間の労働力ナシに動かせるようになり、AIメーカーはリースやライセンスで得た莫大な利益をさらなる研究開発に投入する。そうしてシンギュラリティへの下地が出来上がっていくのではないか、と俺は考えている。
しかし、ここまで書けば当然『全部AIに取って代わられたら、人間はどうやって生活すればいいの!?』という疑問に突き当たる。
先に結論を言ってしまうと、仕事をしなくても生活できるようになる、はず。
先に述べた通り、事業者やAI業者は最初はボロ儲けみたいな感じだろう。しかしそれが社会全体に行き渡れば当然価格競争が始まり、物やサービスの価格はどんどん下がり、最終的にはタダ同然になる。こうなるともはや利益を追求する必要すらなく、半ば自動的に社会が機能していくだろう。
人間はわざわざ汗水流さなくても最低限の衣食住が保障され、それ以上の要求…たとえばおしゃれな服を着たいとか、たまにはグルメを楽しみたいとか、そういったもののためだけに働けばいいようになる。芸術とか娯楽とか、AIに置き換えられないであろう分野には人間が求められるはずで、そこで労働と報酬のやりとりは残るだろうから。
アーティストなどを志す人は自身の生活を心配することなく、好きなだけ技術なり芸術なりを突き詰めることができるようになる。
ほかにも利益追求の必要がなくなることで、採算がとれずに廃線となった路線バスや列車をいくらでも復活させられるかもしれない。なんなら乗客1人の都合に合わせてダイヤも関係なしに貸し切り状態で運行する、なんてことも。
そうなれば貧富の格差どころか、貧富という概念すら過去のものとなるかもしれない。
この『利益を気にしなくてもいい状態』は、シンギュラリティに絶対必要じゃないかと思う。研究開発も好きなだけ突き詰められるようになるはずだからだ。
そうして研究開発を突き詰めた果てに自己進化するAIが出来れば、その瞬間こそがシンギュラリティだ。
シンギュラリティが来たらどうなるのか。
ではシンギュラリティが実際に起こり、その後世の中はどうなるのか。それを予想することは難しい。テクノロジーが加速度的に進化するようになり、未来予測が意味をなさなくなるからだ。
ひとつ予想できるのは『人間がついていけなくなる』ということ。
例えるなら携帯電話。バブル時代のアイコンみたいにネタにされる肩掛け式の携帯電話、そんなのが発売されて人々がすげーって驚いていたその翌日に、いきなり5Gのスマホが発売されるようなもんだ。絶対ついていけないでしょ。
この人間がついていけなくなるという状態は、すでに現代にも当てはまると思う。
誰が呼んだか『ストレス社会』。より便利に、より快適に、より幸せにと、良かれと思って作った社会が、いつの間にかストレスばかりがたまる社会になっていた。
しかしそれは逆に言えば、目まぐるしく進化していく社会に人間が適応しきれていないとも解釈できる。生き物の進化は本来、何世代もかけて、何万年何億年とかかって起こる『新しい環境への適応』だ。その環境がほんの何十年かで激変してしまうのであれば、適応しきれないのも無理はない。
ではシンギュラリティの到来で人間は完全に置き去りにされるのかというと、そうではない。たぶん人間そのものも加速度的進化に『乗っかって』いくことになるだろう。
シンギュラリティによって人間がこれまで得てきたテクノロジーも爆発的に進化し、それを人間自身に用いることで世代交代もなしに進化していく。人間と機械、リアルとバーチャルといった明確な区別もなくなり、適宜アップデートされていくだろう。
カーツワイル氏は人間の意識を機械に転送するマインド・アップローディングをイチオシしているようだが、それに限らずとも遺伝子工学やナノテクノロジーなど、人間の進化に使えそうな技術はたくさんある。それがシンギュラリティの到来でどのように進化するのか、個人的には楽しみだ。
そしてカーツワイル氏はこうも予測している。『2100年には、(シンギュラリティ以前の)過去の人類が自分のバックアップもなしに生きていたことに、ひどく驚くようになるだろう』、と。
どれほど知識や技術を突き詰め、どれほど健康に気を遣おうとも、やがては寿命を迎える。だからこそ人間は後継者を育て、知識や技術を次の世代に伝えてきたわけだが。そんな当たり前のことさえシンギュラリティ以降は過去のものとなるかもしれない。肉体に限界がきたら意識のバックアップをとり、そこからいくらでも再スタートできる。
機械との明確な区別をもたず、寿命さえも飛び越えてしまったのなら、それはもう我々の尺度で『人間』と呼べる存在ではないだろう。そんな『人間を飛び越えてしまった存在』を指す言葉も、未来学にちゃんとある。
それがポストヒューマンだ。
…あれ、気づいたらなんかやたら長い文章になってたぞ。まだ書きたいことの半分くらいしか書いてないんだが。
まあいいや、さすがに疲れたから続きはまた今度書こう。
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